一宇一級建築士事務所 代表 中村享一 氏
ARCHICAD で軍艦島を 3D モデル化
「せっかくだからヨットに乗っていきませんか?話は船の上でしますよ」。そういって中村氏はいたずらっぽい笑みを浮かべた。これまで多くのARCHICAD ユーザにお会いしてきた取材隊も、クルージングしながらのインタビューは経験がない。常識に囚われない中村氏らしい提案に驚きながら頷くと、同氏はまた笑みを浮かべ、素早く出港準備を開始した。待ち合わせは夕暮れ迫る長崎港、出島ワーフ。海に面したこの複合商業施設にはマリーナがあり、中村氏の愛艇もここを母港としているのである。ほどなく準備が整い、私たちを載せてヨットはゆっくりと出港した。波はそれほどでもなく、強い陽射しと潮風を感じながら沖に出ると舵輪を握った中村氏が振り返り、出港してきたマリーナを指さした。
「いま出港してきたあたりにはスーパーマーケット等も建っていますが、元は埋め立て地に建てたものなんです。その再開発コンペで、私は“埋め立てない”プランを提案し入選したんですよ」。1991年のことだった、と中村氏はいう。日本建築家協会主催の設計コンペ「長崎の都市の再構築」に提出された同氏のプランは、廃船となった石油掘削船に自然エネルギー機器を搭載。自然エネルギーの研究基地となる海上都市を作ろう――という、当時としてはきわめて斬新かつ先進的な提案だった。
「みんなに“早過ぎた”と言われましたね。そのせいか銅賞留まりでしたが、この時から、地球環境や建築物の保存再生問題に取り組むようになったんです。軍艦島の研究もこれがきっかけで、以来20年間ずっと取り組んでいます」。
現在では中村氏は軍艦島研究者として広く知られ、特に明治期の軍艦島研究では第一人者といわれる存在だ。そんな同氏が ARCHICAD で軍艦島の 3D モデルを制作したのは2007年頃のことである。
「ほら、正面に島が見えるでしょう」。そういって、中村氏はヨット前方を指さした。青い波の彼方、意外なほど近く緑豊かな島が浮かんでいるのが見える。ゆっくり舵輪を回しながら中村氏は言葉を続ける。
「あれが伊王島です。当時、私はこの伊王島に3DCAD センターを作ろうと構想していたんですよ。で、そのオペレータを訓練する教材に、軍艦島は最高だと考えたんです」。このプロジェクトにおいて重要な課題となったのが、センターで「どの3DCAD を使うか?」である。中村氏自身は以前から3DCAD を試用してきたが、事業化となるとまた視点が違ってくる。あらためてあらゆる3DCAD製品を詳細に調査し、比較検討して、最終的にARCHICAD を選定したのだという。
事務所継続のための 3DCAD 選び
「3DCAD センターで使うCAD をどれにするかは、当初から最重要課題と思っていました。実際、ツールの選び方を間違えると、事業は簡単に潰れてしまいます。事務所経営の経験から私はそれが分っていました」。そう語る中村氏に ARCHICAD 選定の経緯についてあらためて聞いた。同氏は軽く頷くと艇の進路を確認し、舵をオートパイロットに任せながら言葉を続けた。
「アトリエ事務所が導入できる CAD はせいぜい2〜3台。しかも所員はいずれ事務所を移ったり独立します。だから所長も使えなければならないし、新人には1〜2年で習熟してもらう必要がある。でないと事務所は継続できません」。実は自分も何度も失敗したと中村氏は言う。古参スタッフやオペレータに頼り過ぎ、いざ彼らがいなくなるとたちまちお手上げになったのだ。
「となると選ぶべき 3DCAD はまず“教育訓練しやすい”もの。そして“トラブルなくバージョンアップされる”こと、“先生が自分でも使える”ことが重要になる。こうした条件を前提に、当時の主要 3D CAD 製品全部でデータ入力から1つ建物を作り比べたんです」。結果、行き着いたのが ARCHICAD だったのである。
「歳を取ると3次元を勉強するのもなかなかやっかいなので、自分のためにも、やはり扱いやすくて高性能な 3DCAD が必要でした。贅沢な要求ですが、その要求に一番近かったのが ARCHICAD だったんです。建築の手順やイメージをそのままトレースして形にできる。より組み立てやすく模型感覚に近い CAD だったんですね」。
中村氏が伊王島で進めていた3DCAD センターの事業化プロジェクトは、残念ながらさまざまな事情から中止となってしまった。しかし、これを契機に中村氏の事務所に導入されたARCHICAD は、そのままメインツールとなって活用フィールドを広げていったのである。
最も優れたコミュニケーションの道具
「でも、今もプランニング作業は手描きなんです。フリーハンドのスケッチと模型、ディティールは今でも絶対に手作業で……なぜならこれが、私にとって考えるスピードで描ける唯一の手段だからです」。そう言って中村氏は苦笑いを浮かべる。
「コンピュータに触れたのが30代になってからだったせいか、適応しきれてないんでしょう。手で描かないと次が見えてこないんです」。しかし同時に、建築家として設計事務所主催者として、いまや ARCHICAD が無くてはならない道具になっているのも間違いない、と断言した。
「なぜかといえば ARCHICAD と BIMx はいま最も優れたコミュニケーションの道具だからです。どれほど良いプランでも施主に理解できなければ無意味ですが、施主は絶対に私たちアーキテクトの頭の中にあるものを見ることができません。図面でもそれは無理。伝えられるのは唯一 3D だけなんですね」。そのことを、中村氏は建築家として駆け出しだった20代の頃にすでに気づいていた。当時、ゼネコンの設計部にいた中村氏は、施主に求められるままさまざまな建築模型を無数に作成し、カットモデルを作り、それに飽き足りなくなるとスタジオで建築模型を撮影してBGM とナレーションを入れ、プレゼンムービーまで作成していたのだという。
「そうした経験を通じ、施主は立体で見たがるということを痛いほど知りました。で、何とかして誰にでも一目瞭然で伝わる、理解できる環境に近づけないかと追求し、行き着いたのが 3DCAD でした」。現在では歴史的建築の保存・再生運動にも大きな力を注ぐ中村氏だが、そこでもむろん ARCHICAD は力を発揮している。
「長崎には素晴らしい歴史的建築がたくさんありますが、持主の多くはその価値に気づきません。だからこれと思ったら、押しかけみたいにして ARCHICAD でモデルを作ってしまうんです。そして BIMx でいろんな角度からお見せすると、“あんな汚いもの……”と言ってた人が“こんなに奇麗な建物だったのか!”と。CGでなければこうはいきません。まぎれもなくARCHICAD の威力ですね」。そう言って中村氏は夕日を見上げ、大きく舵を切った。
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