躯体を土地の一部として理想の地形を作る
株式会社アールテクニック
代表取締役 / 一級建築士
井手 孝太郎 氏
「Path」――「小径」と名付けられたその建築は、東京都世田谷区「下北沢」駅から徒歩10分弱の閑静な住宅地に建てられている。三方を住宅に囲まれ、北側道路に面した側だけが開けた敷地は約80坪弱。そこへ直線を組み合せた複雑な多角形のベースを築き、その左右にこれまた多角形の建物が不規則に組み合わされながら積み上げられ、敷地奥へと伸びている。建物は、微かに覗ける中庭をぐるりと取り囲むように配置されており、上空から見おろすと道路側に口を開いた「Uの字」型をなしている。さらに建物のそこここには樹木が生え、全体として巨大な「Uの字」型の崖地のようだ。強烈な存在感を放っているが、それでいて周囲にすんなり溶け込んでいるようでもあるのが不思議である。――そんな感想を伝えると井手氏は頷いた。
「私は以前から“自然の中にそのまま住み込む”ということを思考して、ずっと取組んできました。たとえば山奥の、何もしなくていいような岩山を生かしてそのまま住み込む、というのが理想です。でも、さすがにそんなプロジェクトはないので、その土地を自分たちで理想的なカタチに矯正しながら家を創るということを続けています」。つまり、コンクリートの躯体を土地の一部として作りあげていこうというわけだ。そうして理想の地形を敷地に作りだした上で、その「地形」を生かしながら所々にガラス張りの部屋を配置。これを「小道」で結んだものが、今回の「Path」の基本コンセプトということになる。
「現代のリゾート的な建築って、できるだけ突き出してExposeしたものが多いようですが、実際の自然の中の集落を見てみると、山の窪みにぎゅっと入り込んで雨風を忍んでいる。そういう住まいならではの安心感みたいなものが狙いです。人工でもこのような自然を作っておけば、将来的にも“この中に住みたいな”と思ってくれる人がいるんじゃないでしょうか。長い目で見ても、簡単には壊されずに済むと思いますよ」。それにしても、施主がどのようなオーダーをしたら、こんな大胆なプランが生まれるのだろうか? そんな疑問をぶつけてみると、井手氏はまた笑顔になった。
「施主からのオーダーは10項目ほど。外から見えないようにとか、家族5人個々の個室とか、外が見える風呂とか、クルマ1台に大型バイクが置ける駐車スペースとか……。具体的な要望をいただいただけで、“それ以外はお任せする”と。逆にイメージやデザインに関わる要望はありませんでしたね。それで相当な時間をいただいて ARCHICAD でプランを練りあげ、3次元でご覧に入れました。施主の感想は“なんだかよく分からないけど凄い!”と(笑)。おかげで、ほぼそのまま進めることができました」。
脳内のアイデアをストレートに形に
躯体は土地の一部として荒々しく大胆に構成し内部の造作は逆に徹底してきめ細かく仕上げて建築表現と住環境機能を分けることで快適性を担保
「Pathの外観だけ見ていても、その内部の間取りは全くといっていいほど想像がつかないだろう。前記の通り建物の配置は、東西に並列させた2つの棟を敷地最奥部で繋ぐ「Uの字」型だ。半階分スキップさせた東西の棟を、細かくレベルに差を付けた廊下や階段が結んでいる。各居室は緑豊かな中庭を囲むように、上層階へ緩やかに上りながら結ばれたフロア各所に配置されている
3階建て4層にわたって積み上げられたフロアは、1層上がるごとにそのフロア形状を変えながらセットバックしていく。大胆な面の組合せにより構成されたざっくりとシンプルな印象の外観に対して、内観は形状もさまざまな大小の面が複雑に組み合わされ、凝った間接照明の効果もあって繊細な陰影に富んでいるのが特徴だ。
居室の配置を順に辿ってみよう。まず玄関から半周して登りきった所にはキッチンとダイニング、その先にリビングがある。さらに半周上がるとスタディスペースや3つの子ども室を配置した子どもフロア。そして反対側の3階は親の寝室と続いていく。最上階は洗面・シャワー・浴室が直列につながる水周りとなる。寝室等を除き、各室に通路との間仕切りはほとんどなく、開かれた空間となっている。
このボリュームは、岩山が侵食されて窪みに土が溜まり、そこに植物が生えた光景をイメージしています。お話した通り、躯体は土地の一部として荒々しく大胆に構成した反面、内部の造作は徹底してきめ細かく仕上げてあり、建築表現と住環境としての機能を分けて扱うことで、住まいとしての快適性を担保しています」。
たしかに「Path」のプランを見ていくと、井手氏が創造したコンセプトが、ほぼそのままストレートに実現されていることがよく分る。だが、現実問題、井手氏はこの大胆にして複雑、精緻なプランをどのようにして創出したのだろうか? 脳内にあった元々の基本構想を、具体的なボリュームへ練りあげて施主の要望に応えながらゾーニングし、さらに建築基準法に照らして問題ない建築として成立させていくという作業は、コンピュターを駆使したにせよ、膨大な手間と時間がかかったに違いないと思える。
「私が2D CADを使っていたら、このプラン創りは到底無理だったでしょう。ARCHICAD だから実現できたのは間違いありません」と井手氏は語る。実は同氏は今回に限らず、初期のスケッチ段階から最終段階まで、トータルに ARCHICADをメインツールとして使っている。単に3Dというより、ARCHICADによるBIM設計がこのプランを可能にしたのである。
「ちゃんと戻る」ためのログ・マトリックス
初期段階で何カ月もプランを練る時間が必要なので
コンペやプロポーザルにはあまり参加しません
無理なんですよ、1カ月でぱぱっと提案するなんて
「ARCHICADの利用は最初期のスケッチ段階、ボリューム検討から始まります。ARCHICADを使って、本当にただの積み木みたいな状態から始めるんですよ。いわゆる物理的模型によるスタディと変わりません。」そういって、井手氏が見せてくれたパソコンの ARCHICAD画面の中では、大小さまざまな形状の積み木状の「躯体」が、配置案ごとに多種多様なパターンで組み合わされて、膨大な数のバリエーションとなって整然と並べられている。
「この作業をARCHICADで行うことのメリットは、モデルの一部を透明にしたりコピーをすることがすごく簡単なこと。だから、どんどんモディファイしながら、代案をスピーディに増やしていくことができるんです」。建築家の展覧会等では、ホワイトモデルを100箇も並べてあったりするものだが、ARCHICAD で作ればバリエーションの100個や200個は余裕でできあがると井手氏は笑う。そして、重要なのはそのどれも捨てないことだ、と言葉を続ける。それぞれにコメントを入れながら、パターンの流れごとに整理しまとめておけば、仮にさまざまな問題である一つの案がキャンセルになった場合も、容易に一つ前の流れに戻って作り直したり、全員で検討し直すことができるのである。
「こうやってさまざまなパターンを比較検討し、コンセプトを揉んでいく中で、やがてこのプロジェクトの“肝”みたいなものが見えてきます。そうしたら今度はその系統のプラン群の“ログ”を整理して並べ、マトリックス化するわけです」。そうすることで、マトリックスの抜けている箇所も自然と見つかるから、次はその「穴」を埋めるプランを作り、漏れの無いマトリックスへ仕上げていくのである。そうやって「穴」を全て潰し尽くした上で、再度フラットな状態に戻って全体を評価し、3つほどに絞込んで次ステップへ――という流れで、井手氏は基本プランの最適解を直感的・合理的に導き出すのだ。
「一つのコンセプトで進めていって、そのままあるレベルで達成できれば良いですが、実際には概念的な所から具体化していく中でさまざまな挫折が起ります。しかも、挫折するとどうしてもブレてしまいます」。ブレがコンセプトの範囲に納まっていれば良いが、大きくブレると、しばしば「そもそもこのコンセプトではなく、元の流れに戻った方が良い」という場合も多くなる。そんな時、アイデアログのマトリックスがあれば、スムーズに1ステップ前・2ステップ前に戻れるのである。逆にそれがないと、戻るべき分岐点に戻ることがとても難しくなる。
「だから“ちゃんと戻れる”ことが、すごく大事になるわけで。そこでマトリックスを使えば、即座に戻れるのはもちろん、たとえば所内で議論しながら“こっちの方が良いじゃん”と誰でも目で見て直感的に判断できる。廃棄した建築模型を引っ張り出すまでもなく、常に過去のログのマトリックスを一覧していれば“こっち側にこんな案があった!”と見つけて進めるわけで……。これはやはり3次元ならではの強みでしょう」。
だが――と、そこでもう一つ新たな疑問が浮かんで来る。今回のように、様々な角度の線が入り組んだボリュームを扱うのなら、より自由な造形が可能なモデリングソフトの方が、使いやすかったのではないだろうか?
ARCHICADでの工夫を実務のステップに生かす
「形状のことだけ言えば、もちろん自由度の高い造形ソフトを使った方が簡単にできます。しかし例えば、そういった自由度の高いモデリングソフトを使って今回のようなぐにゃぐにゃした形を作ったとして、ではその後“どうやって現実の建築にしていくんだ?”という問題がクローズアップされます」。BIMで行う造形にはたしかに限界があり、そこには一種の足かせが存在している。だが、その足かせは建築現場における「当り前の足かせ」に近いものなのだ、と井手氏は言う。裏返せば、ARCHICADで作り難いものは実際の建築現場でも作り難くく、それをARCHICAD内でさまざまに工夫して作ることができれば、そのステップを実務における工夫にも生かせるのである。
「実際、ARCHICADでいろいろ工夫して作った箇所は、現場でもやはり似たような問題が生まれ、同様の工夫が必要になりがちです。そして、そこを乗り越えれば難しい施工もたいてい実現できます。つまり設計段階で“ARCHICADの足かせ”を乗り越えてきたプランは……むろん全てではないにせよ……現場の苦労をもすでに乗り越えている。そんな風にも言えるのです」。
ともあれ、このようにしてベースとなるボリュームは「中庭をもつU字型」案でまとまり、プロジェクトは新しいステップへ進んだ。この複雑な形態できちんと階高を押さえながら、構想通りにセットバックさせていくことができるか?というシミュレーションである。当然だが、ある程度セットバックさせていくと、上に行くほどボリュームが削られて薄くなっていく。ある一定の比率でセットバックさせながら最後にちゃんと一定のボリュームを残し、しかもそのボリューム内で法規を守り施主の要望を満たせる面積を確保しようというわけだ。この複雑な3Dゾーニング作業は、予想通り難度の高い作業となった。
とにかくいろいろ試して比較して、一定の比率でセットバックしていき最上階までちゃんと面積が取れる、と検証できた案を選びました。これにはパラメトリックデザインツールを使いました」。つまり、まずセットバック率を決め、最下部の中庭の下図だけフリーハンドでスケッチ。この中庭の形状の変化により、上階の面積がどう変わるか算出できるようプログラムしておき、Glasshopperで2階以上の壁を自動生成。中庭スケッチを調整しながら、さまざまなセットバックの形状を生成させていったのである。
「この、ある種のアルゴリズムによるスタディによりボリュームにおけるガイドライン的なものを作り出し、後はこのガイドラインを目安にマニュアルで造形していきました。ボリュームスケッチとゾーニングのパターンを色分けしながらどんどん案出ししていったわけです。」このやり方で進めていくと「少し気持ち悪い」とか「この方向でより良いものがありそう」などと考え始めるのが通例だ、と井手氏は言う。結果、バリエーションはどんどん増えていくので、やはり前述した立体マトリックス状に並べていくことになる。そして、そこからさらに絞込んでいったのである。
平面図の線は“何処からも来てない”線
初期段階で作ったモデルなどラフに過ぎない
修正して再使用しようなどとは考えずに
さっさと捨てて「次」へ進むべきである
「じっくり検証検討を進めて、基本的なプランをある程度決め込むことができたので、ここで再度、ゼロからモデルを作り直しました。今回は数字もきちっと入れながら作っていったわけです」。ある程度BIMモデルができ上がってしまうと、それを作り直すことを面倒がる人が多いが「それは間違いの元だ」と井手氏は語る。特に初期段階のモデルはラフに過ぎないから、直して使おうなどと考えず、さっさと捨てて次へ進むべきだと主張するのである。
「初期段階のBIMモデルは、あくまでフレキシブルにスタディするためのものです。“ここがきれいに繋がってない”とかそんな細部は気にせずに、ラフな作りで良いからどんどん進めて、設計者は、それを使って“考えること”だけに集中すべきなのです。……それで結論が出たらそのラフは捨て、ちゃんと一から入れ直し作り直せば良い。何でもそうですが、1度作ったものであれば“やり直し”は意外とすぐにできるものですよ」。
こうして何度も作り直されることで、PathのBIMモデルは着々と精度を高めていった。そして、このBIMモデルが、このプロジェクトのものづくりの全ての基盤となったのは言うまでもない。日影計算や構造計算、構造と意匠の干渉チェック等々も、モデルを元にしたスクリーンショットや簡易モデルを簡単に色分けするなど、用途に合せて工夫しながら進められたし、施主や構造設計事務所、工事会社などとのやりとりも、BIMxに入れたモデルがコミュニケーションツールとして日常的に使われた。もちろん施工の現場でさらなる2D図面が求められることもあったが、それらも、全てこのBIMモデルから切り出された平面図や断面図を元に加工された2D図面だったのである。井手氏の仕事においては、あくまでBIMモデルが主で図面は従だったのである。
「ある著名な建築家の先生から“Pathの設計を自分の中で整理したいから図面が欲しい”と言われ、お送りしたことがあります。すると、ご覧になった先生から“平面図のあの線は何処から来ているの?”と問合せがあり、ちょっと困りました。何しろ私自身は、あの線を特に“線として意識していませんでしたから」。実はその「線」は、立体のボリュームとして井手氏が考え、作りあげた3DモデルをARCHICADで平面表示して整理していった結果、たまたまでき上がった「線」に過ぎない。井手氏自身が間取りとしての「線」をスケッチで描くことはなく、つまり、それは“何処からも来てない”線なのである。
「多くの設計者にとっては“まずこの線があって”始まるのが設計ですが、私にとっては全てボリュームで計画して、平面図はその結果です。……そんな風にお答えしたら、“なるほど!”と仰有ってましたね」。
設計に1年、施工に1年2カ月
こうして井手氏の話を伺っていると、設計には相当の時間がかかったのではないかと思ってしまうが、尋ねてみると「実質的に1年程度」という答が帰ってきた。これだけの規模と内容を備えた建築で、1年の設計期間はむしろ短かったと言うべきだろう。
工数はかかっていますが、施主さん自身が急いでらしたし、ほぼ直しのない方だったのでスムーズに進められたのだと思います。本当はもっと早く、9カ月ほどで着工予定だったのですが……確認申請に4カ月もかかったのが計算違いでした」。同様に施工もまた、かなりの苦労があったのではないかと勝手に想像したが、これも1年2カ月程度の期間で仕上がったという。しかも、実際に施工を行ったのはいわゆる“1人工務店”だったと聞くと、もはや驚くしかない。
「躯体作りと内装作りを完璧に分けて進めたやり方が功を奏しましたね。躯体屋さんはひたすら躯体を作り、出来た所から内装屋さんが入って現場の実測も含めて打合せし、作業を進める。そんな形で進めて行ったんです。だから躯体の完了後3カ月くらいで終りましたね」。難度の高い設計にも関わらず施工がスムーズに進んだのは、やはり作業のあらゆる局面で活用されたBIMモデルの威力だろう。いずれもまずはBIMxでBIMモデルを見せて、この複雑な形状をしっかり把握させておくことで現場の手戻りを無くし、一人工務店であっても合理的かつスムーズな進行を可能にしたのである。こうして2018年、Pathは無事に完成。建築業界でも大きな話題を呼んだという。
「Pathを見てコンピューテーショナルデザインと誤解する方がいますが、まったく違います。アルゴリズムは複雑な条件を解決するためのラススケッチの段階でのみ使用し、その後は自分の手で岩山を掘っていく感覚というか、風か雨になった気分で“出っ張ってるな”と思ったら侵食していく。そんな風にして“風景としてフィットする形”を探していったのです……私がARCHICADを使うのも、そんな感覚を得られるからなんですよ」
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